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2012年03月30日

福島県飯舘村のお母さんの声・・・

先日より、飯舘村から11名の子供と母親2名が来島しています。
WWF白保サンゴ村さんのはからいで、被爆してしまっているかもしれない子供たちのデトックスのため。


今から書くのは、この2名のお母さんのお話で、飯舘村のすべての人々がそう思っているのではないと言う事を了承して読んで下さいね。お2人の中でも意見が違うこともあったので。


テレビで知っていても、生の声ってとっても心に届く!!!
しかも一日中テレビ見ている訳でもないので、知らないことも沢山あった!


まず、以下の文章は被災者、避難者支援ネットワーク石垣島「ちむぐくる」の山崎さんのもの。ちむぐくるHP
それに私が追記したいと思うものと独自の考えを赤色で書いてます。

1、村長さんは「除染によって村を復活させたいと」と考えているのですが除染がうまくっていない」そうです。
「村の8割以上が山と森」の飯館村で子どもたちにとって安心安全な状態まで除染をすることは可能な事と思えない。村長さんが村復活を望んでも「子どもたちが暮らせない村」に未来はないのでは。ということでした。
セシウムの半減期を考慮すると「子どもたちが暮らせるまで放射能濃度が下がるにはおそらく数十年以上先になるかもしれません。


10年経つと汚染されている場所は6分の1になり、20年で子供が住める場所になると村長さんは言うが、私は子供を返しませんとおっしゃっていました。
勿論、私達は放射能が危険だと言う事を知ったのは、随分月日が経ってから知らされました。



2、村の人たちは「見守り隊」という国費による飯館村のパトロールに300人から400人が加わっている。
東電からは賠償金の先払い1人130万円が支払われている。飯館村の主要産業は農業と畜産であるが再生の見通しは全くない。


以前、農業をされていた多くの方は仮設住宅に入り、小さな畑を耕し共同菜園を行なっているがただ気持ちを紛らわすためである。
東電が支払った賠償金額は130万円プラス精神的賠償金10万円。
何かあることに賠償請求するが、この130万円は先払いされていて、例えば請求金額が200万なら、先に払われている130万円引かれ70万しか入ってこない。
ニュースでも報道されていたが、虫眼鏡で見ないとわからないような小さな字で、老人はほぼ無理なような
賠償請求の書き方。まるで請求するなと言わんばかりの分厚いものを提出しないといけない。


3、放射能を本当に恐れている人は早期の段階で県外に避難してしまっている。
子どもたちは友だちと別れたくないという強い気持ちを持っているので、皆で福島市に移動しここにとどまっている。


4、川内村は帰村宣言をした。この村は村民全員にアンケートを配り、それに基づいて帰村宣言とした。
飯舘村はアンケートなど来ない。村人皆の温度差がかなりあり、子供がいても帰りたいという人。絶対にもどらないという人。食を気にして食べさせる人、食べさせない人。人それぞれでバラバラ。


5、福島県が実施している「健康調査」は被ばくデータをとるためであって、一人一人の診察と診断をしているわけではない。
データに基づいての医師の説明も全くない。子どもたちの甲状腺に出ている腫瘍や膿胞の細胞検査もしていない。


実際甲状腺検査を受けて、25%の子供から甲状腺の小さなしこりが見つかり、6%の子供が検査が必要とされるしこりが見つかった。
だが、小さなしこりのある子供は「様子をみましょう」と言われる。
病院は福島県立病院でしかなぜか検査が受けられないという状態。
小さな病院は圧力により検査できない。被爆のベクトルの数字は誰にも公表しない。
検査後「70歳までこの場所で生きていても大丈夫です」という紙切れ1枚がくる。
紙には A1異常なし A2さなしこりあり B少し大きいしこりあり と分かれていてA2に関してはその後どうすればいいか何も相談も受けてくれない。
自治体は検査を進んでしない。


6、内部被ばくの検査、ホールボディーカウンター、尿検査などもNPOがやってくれているがかなりの順番待ちである。


7、飯館村から住民票を移した人は少ない。みんな飯館村が大好きだったので戻れる日が来ることを強く望んでいる。

村の世帯は2700世帯。人口6000人。現在残っているのは8世帯。山の上は14マイクロシーベルト。

8、もし時期が春ではなく冬であれば、飯舘村の方向とは違い、下に下りていた。春は浜から風が吹き、冬は山から風が下る。下に下りていたらどうなったのか。大阪方面にも影響があったかもしれない。

地震後、本当は非難命令が出ていたのに、村長が勝手に断り村民を閉じ込めた。
現在は何もかもが信じられない。国も。自治体も。病院も。すべて疑って生きている。
子供たちは夏の36度の気温で、福島はとても暑い。夏なのに帽子を深くかぶり
マスクをし、長袖長ズボンで登校。バスの送迎がある地域もある。
秋頃からは一日1時間の時間制限で遊ぶことが出来るようになった。今後も一切
そのような日々が何年続くのか?

春休み、この母親の住宅には3件のお話しがあったそうだ。石垣島、北海道、長野。
特に北海道の受け入れは多いそう。だが、幼児の受け入れは一切ない。親同伴ではあるが仕事上一緒に行けない。
小学校高学年、中高生は沢山ある。親としては一日でもいいから、安全な場所に子供を送り出したい。

福島県飯舘村のお母さんの声・・・

このような内容でした。
長くなってすみません。

今、遊びに来ている子供たちは、太陽の下、思いっきり外で遊ぶという当たり前のことを満喫していて
大興奮状態だそうです。良かった♪
もし被爆してしまった子供でも、放射能汚染されている場所から離れると、
かなりデトックスされるようで、元気にたくさん遊んでほしいな。


読んで頂きありがとうございます。
レキオ通信もみてねここ

それでは今日の1枚。
福島県飯舘村のお母さんの声・・・
ラグビー部、ムキムキ青年たちのTシャツです!ありがとうございます!!!


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Posted by レキオ店長 at 13:58│Comments(2)東日本
この記事へのコメント
こんにちわ。この時に花火についての記事をブログ紹介してもいいですか?とお尋ねした者です。
自分のブログにアップしましたのでお知らせします。
もし何か不都合な表現などありましたらお知らせくださいませ。
現地の声を聞くと、どうしようもない怒り・無力感・悲しみに襲われますが、現地の方の気持ちに添っていきたいと思います。
Posted by 藍mi-goro at 2012年03月31日 11:44
ありがとうございました。ブログ拝見させて頂きました。
そちらの方にコメント書きました。
今後とも宜しくお願い致します。
Posted by yonemori at 2012年03月31日 16:15
 
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